イザナギは筑紫の島、日向の橘の小戸の阿波木原にきていた。すでに日は暮れていた。
「ああ、イザナミはもうこの世の神ではないんだ・・・」イザナギはつぶやく。
しかし、彼には日本の国を作る仕事が残っている。いつまでも落ち込んでいるわけにもいかない。
「ぼくは黄泉の国に行って帰ってきた・・・黄泉の国は穢れた死者の国、僕の体にも穢れがまとわりついている。禊(みそぎ)をしてこの穢れを落とさねば」
イザナギは禊のためにここ、九州の川に来ていたのだ。
月明かりの下、イザナギはまず来ていた服を投げ捨てた。杖も帯も衣も、袋も冠も腕輪もすべて。
そして川の中に入る。
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☆禊
古代、神様の前に出るときは全身を川に浸して穢れを流したと言います。現在でも神事においては川や海に全身使って穢れを払う儀式が残っています。
今、我々が神社にお参りする前には手水舎に立ち寄って、柄杓で両手を洗い口を漱ぎます。この作法も禊を簡略化したものです。
☆筑紫の島、日向の橘の小戸の阿波木原
イザナギが禊を行ったこの地、現在の宮崎県宮崎市阿波岐原町にある御池だと伝えられています。
一方、この言葉の羅列には特に意味は無い、言霊の集合体であるという説もあります。
福岡市内にもイザナギが禊を行ったと伝えられる池があり、他にも伝承地はあるかもしれません。
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