ヤマトタケルの自伝 3
父の天皇から兄のオオウスに、朝夕の食膳への参列について「ねぎ教え諭しなさい」(丁寧に教え諭しなさい)と言われた翌朝。
わたしは夜のうちに兄オオウスの屋敷に忍び込み、便所の陰に隠れ、朝になるのをまった。
そして、朝になった・・・日が昇り、目が覚めたオオウスが朝の用足しにやってきた。オオウスが便所に入った。その時!
わたしは便所の戸を開けた。
「なんだ!・・・オウスか、何事だ!」
びっくりしたオオウスが叫ぶ。しかし、わたしは兄のその声を無視し、便所にはいった。そして、オオウスをとっつかまえると、まずその右手をねぎった!(ひきちぎった)
「ぎゃー!!!」
兄の悲鳴が響き渡る。しかしわたしは気にせず、続いて左手、両足とねぎっていったのである。オオウスはもちろん、絶命してしまった。
死体は菰に包んで投げ捨てた。
さて、それから5日が経った。
その日、父上はわたしに言われた。
「お前の兄のオオウスは、今日も食膳には参列していないのか・・・おまえ、まだオオウスに教え諭していないのか?」と言われた。
わたしは
「いえ、すでにねぎましたよ」
と答えた。
父上はいぶかしげに
「なに・・・どのようにねぎったのだ?」
と聞いてくるので、わたしはその時の状況を説明した。
「父上のおっしゃる通り、わたしはしっかりねぎましたよ!」
わたしは父の天皇の言う通りにしたのだ。当然、褒めてもらえると思っていた。
しかし、父上は、無言でわたしを冷たい目で見つめていた・・・その視線は空恐ろしいものがあった・・・
・・・そして父上は、わたしに向かって冷たく言い放ったのだ。
「西の国に二人のクマソタケルの兄弟がいる。朝廷の命に従わず、反抗的な奴らだ。奴らを征伐して来い」
と・・・
父の天皇は冷たく言い放ったかと思うと、すぐに去っていった。後にはわたしが一人だけ残された。
・・・なんだ・・・父上のあの態度は・・・合点がいかなかった。しばらくわたしはその場に呆然として立っていた。
しかし、わたしはすぐに気を取り直した。
「よし、ならば父上の望み通り、クマソタケルを討って父上に認めてもらうぞ!」と・・・
そしてわたしは旅支度を整えると、わたしの叔母であるヤマトヒメを訪ねて伊勢に赴いたのだった。
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☆ねぎ教え諭せ
古代語で「ねぐ」というと、「摘む・もぎ取る」という意味があるそうです。
景行天皇はオウスに対し「ねぎ教え諭せ」と言いました。この「ねぎ」というのは現代語の「ねぎらう」と語源は同じで「丁寧に、親切に」といった感じの意味です。
ところがこれを聞いたオウスは「手足を引きちぎれ」という意味だと誤解してしまいました・・・
こうして実兄オオウスをあっさりと殺してしまったオウスを、景行天皇は恐ろしく感じて、以後遠ざけるようになります。
☆オオウス
古事記ではオウスに殺されてしまうオオウス。
日本書紀ではオウスの九州征伐の後、東国の征伐を任じられますが、おじけづいて草の中に隠れます。これに景行天皇はあきれてオオウスを美濃の国に封じました。
しかしその後、オオウスは美濃の発展に尽くしたと伝えられています。
オオウスは美濃国、愛知県豊田市の猿投神社に祀られています。境内の大碓命墓がオオウスの墓と伝えられています。
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