ヤマトタケルの自伝 後伝 2(キビノタケヒコの自伝)
わたしは急使をたて、大和に向けてすぐさまその報を知らせたのである。
そしてすぐに、大和に居たヤマトタケルさまの后と御子たちが、能煩野の地まで来たのである。
后たちも、御子たちも、その悲しみは大きなものであった。彼らは地に這いつくばって泣いていた。ヤマトタケルさまの遺体を目の前にして、いつまでも・・・いつまでも、泣いていた・・・
そして歌を詠まれた。
君が倒れし その田には
芋のカズラが 這っている
ああ我が心 その芋の
カズラのように 這っている
そして、后たちと御子たち、それに我々従者らは、協力して御陵を造った。そしてそこにヤマトタケルさまを手厚く葬ったのだった。
葬儀が終わっても、まだ后と御子たちは泣いていた。我々従者らは、その姿を静かに見守っていた。
そのときである。御子のひとりが叫んだ。
「あ!・・・あれは・・・!」
その声に、一同は御陵のほうを見上げた。すると、そこには・・・
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☆能褒野王塚古墳
ヤマトタケルの終焉の地、能褒野は現在の三重県亀山市です。能褒野王塚古墳がヤマトタケルの御陵とされています。
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