ヤマトタケルの自伝 32
わたしは尾津崎を出て、大和へ向かって歩いていた。従者に支えられ、杖を突いて、おぼつかない足取りで・・・
「ああ・・・わたしの足は三重にも曲がってしまったようだ・・・つかれた・・・」
わたしは立ちどまってつぶやいた。
「ヤマトタケルさま!しっかりしてください!大和はもうすぐです!!」
従者らは必死に、わたしを励ますように声をかけている。
「ああ・・ありがとう・・・大丈夫だ!さあ、行こう!」
わたしは口ではそうは言って再び歩きだす。しかし高熱で意識は薄れ、目の前はかすみ、ますます足取りは遅くなっていく。
・・・ああ、もう動けない・・・
わたしは能煩野に至ったとき、ついに倒れてしまった・・・
わたしは歌を詠んだ
大和は 国のまほろば
たたなづく 青垣
山こもれる 大和し うるわし
「ヤマトタケルさま!しっかり!!」
従者らの声が聞こえる・・・しかしそれはまるで、天から響いてくる声のようだ・・・
元気で帰れ そなたらよ
平群の山の かしの葉を
かんざしとして 髪に挿せ
元気で帰れ そなたらよ
また、続けて歌を詠んだ・・・
愛おしい 我が家の方に
雲がたつ
ああ・・・わたしは熊襲に出向いたときから、ずっと旅の記録をこうして自伝として書き綴ってきた・・・
しかし、もはや筆を持つ手さえも、おぼつかなってきた・・・
・・・ああ・・・ミヤズヒメ・・・
乙女の 床の辺に
我が置きし つるぎの大刀
その大刀はや
― ヤマトタケルの自伝 未完 ―
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☆ヤマトタケルの自伝 未完・・・
「ヤマトタケルの自伝」、未完のまま終わります。語り手であるヤマトタケルが亡くなってしまったのだから、どうしようもありません・・・
次回から「ヤマトタケルの自伝 後伝」として、従者のキビノタケヒコが後日談を語っていきます。引き続きよろしくお願いいたします。
なお、拙ブログは毎週水・土曜日に更新してますが、12月31日(土)はお休みをいただき1月4日(水)に再開いたします。
今年一年、お読みいただきありがとうございました。来る年もよろしくお願いいたします。
☆三重
ヤマトタケルが「わたしの足は三重に曲がってしまった」と言ったのでその地を三重というようになりました。現在の四日市市の旧三重村のあたりで、現在の三重県もこれが語源となっています。
☆能褒野王塚古墳
ヤマトタケルの終焉の地、能褒野は現在の三重県亀山市とされており、能褒野王塚古墳がヤマトタケルの陵墓とされています。
☆熱田神宮
尾張のミヤズヒメの元には草薙剣が残されました。ヤマトタケルの没後、ミヤズヒメは一人で草薙剣を守ってましたが、老いて自分の寿命を知るに及び、祠を建てて草薙剣を納めました。
これが現在の熱田神宮です。
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