ヤマトタケルの自伝 31
伊吹山で神の怒りにふれ、居覚の清水で息を吹き返したわたしは、大和を目指して歩き始めた。
しかし、清水で体を冷やし息を吹き返したとはいえ、わたしの体力が完全に回復したわけではなかった。
わたしは従者に支えられながら、ゆっくりと、よぼよぼと、やっとのことで歩いていたのであった。
どのくらい歩いただろうか・・・
「ああ・・・わたしの心は、今も自由自在にこの空を飛び回っている。しかし・・・
わたしの足は萎えてしまって、たぎたぎしくなってしまった・・・」
わたしは誰に言うともなく、つぶやいたのだった。
そしてそこからわたしは進む。よろよろと・・・もはや私は疲れ切って、その歩みは進んでいるのか止まっているのかわからないほど、のろのろとしていた。
峠道がわたしの前に立ちはだかる・・・
わたしは杖を突いて、やっとのことで坂道を上っていったのだった。
ああ・・・これが熊襲や蝦夷を征伐したわたしの、なれの果ての姿なのか・・・わたしは情けなかった。しかし、大和への望郷の一念で、わたしは足を引きずりながら、その道のりを進んでいっていたのであった。
そして、尾津前(おつのさき)まで戻ってきた。そこに生えていた一本の松・・・これは・・・見覚えがある・・・
ああ・・・そうだ・・・ここは・・・
・・・思い出してきた・・・そうだ、東国に向かう際、この松の下で食事をとったんだった・・・
・・・ああ、そういえば・・・
あのとき・・出立するとき、マツの木の根元に一振りの刀を忘れていったんだった・・・あの時の刀、今もあるだろうか・・・
・・・わたしは這うようにして、その松の木に近づいていった。はたして・・・
何年も前に忘れていた刀・・・
・・・それは、そのまま、マツの根元にあったのだ・・・!
わたしはそれを見たとき、とめどなく涙が流れてきた・・・
わたしは松にしがみついて立ち上がった・・・その松は、どっしりとそびえたち、わたしを支えてくれた・・・ああ・・・
尾張の姫に まっすぐと
向かって立って いる松は
尾津の崎
ああ松の木よ ああ君が
ひとりのの人で あったなら
光るつるぎを その腰に
差してあげてた その腰に
粋な着物を その肩に
そっと着せてた その肩に
わたしは歌を詠んだ・・・
・・・そう、その松は、尾張のミヤズヒメを見守ってくれているように思えてならなかったのだ・・・
前<<< 熱病にかかり・・・ - 古事記の話 (hatenablog.com)
次>>> 大和し うるわし - 古事記の話 (hatenablog.com)
☆当芸野
ヤマトタケルが「わたしの足はたぎたぎしくなって歩けない」と嘆いたことからその地を「当芸」(たぎ)というようになった、と古事記に記載されています。
今の岐阜県養老町、養老の滝の近くにある大菩提寺の周辺と言われています。
☆杖つき坂
ヤマトタケルが杖をつきながら登ったので杖衝坂と言う、と古事記に記載されています。
一般的には三重県四日市市にある旧東海道の杖衝坂と言われていますが、前後のヤマトタケルの行跡を見ますとどうも地理的に合いません。
岐阜県海津市に杖つき坂と呼ばれる場所があり、そちらの方と考えたほうがよさそうです。
☆尾津前
≪古事記・古代史関連の姉妹サイト≫
小説古事記
古事記ゆかりの地を訪ねて
≪その他の姉妹サイト≫
≪ツイッターもしています≫
https://twitter.com/sikisima10