ヤマトタケルの自伝 18
わたしは駿河で反逆を起こした国造を誅殺した後、さらに東に進んでいた。
わたしが国造の陰謀にはまったその日、わたしが野に入ったすぐあと、オトタチバナヒメは捕らえられたという。そして目の前で国造の兵士が、わたしが入った野に向かって火矢を放つのを見たという。
そのときのオトタチバナヒメの気持ち、いかばかりだっただろうか・・・泣き叫びたかったに違いない。
しかしそれさえもできなかった・・・声を立てて私に気づかれぬよう、彼女は猿轡をかまされていたそうだ。
そして私が焼死したと思って、監禁された屋敷の一室で泣き続けていたという。悲しみに暮れるオトタチバナヒメに、一緒に捕らえられた従者らはかける声もなかったようだった・・
「オトタチバナヒメ・・・すまん。苦労かけたな・・・」
「いいえ・・・ヤマトタケルさま、御無事でよろしゅうございました」
そして我らは相模の国を越えて、上総の国まで来ていた。
ここから海を越えて下総の国に渡る。
わたしは下総の国で、目の前に広がる海を眺めていた。天気は良く穏やかに晴れていて、対岸には上総の国が見えていた。
わたしは言った
「なんだ、小さな海だな!こんな海なら、一跨ぎで越せそうだ!
よし、いくぞ!!」
わたしと、同行している従者一同は、一艘の船に乗り込んだ。もちろんオトタチバナヒメも一緒だ。
≪ヤマトタケルが出港したと伝わる、三浦半島の御所ヶ崎から見る浦賀水道。房総半島がかすんで見える≫
海は穏やかに凪いでいた。船は順調に進んでいた。
ところが・・・海の真ん中まできたとき、急に暴風が吹き始め、海が荒れ始めた・・・一体どうしたのだ・・・
小さな船は、荒れ狂う海に木の葉のように翻弄される!さっきまでは穏やかな海だったというのに、どうしたというのだろう・・・
・・・まさか、出港前に言った私の一言が、海の神の怒りに触れたのか・・・
とにかくこのままでは・・・従者たちは必至で操船しているが、このままでは船がひっくり返るのは時間の問題だ!
その時だった!
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☆走水神社
三浦半島から浦和水道を渡って房総半島に至るのが古代東海道のルートでした。
徳川家康が江戸の町を整備する前の関東平野は一面の干潟と低湿地帯、そんなところを陸路で行くより海を渡って行ったほうが簡単だったんでしょうね。
三浦半島のヤマトタケルが船出した地には、ヤマトタケルとオトタチバナヒメを祀る走水神社が建立されています。
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