古事記の話

古事記を小説風に書き直してみました

草薙剣!

ヤマトタケルの自伝 17

 

 

駿河国造の陰謀にはまったわたしは、枯野の中で燃え盛る炎に取り囲まれていた。炎はわたしに迫ってくる!

このままでは焼け死ぬのは確実だ・・・どうすれば・・・

 

・・・はるかな神代、同じように炎に枯野で炎に取り囲まれたオオクニヌシの大神は、ネズミのおかげで助かったそうだが・・・

そんなにうまいことはないだろうな・・・覚悟を決めるしかないのか・・・

 

わたしがそう思った時だった。その時、思い出したのだ!

伊勢のヤマトヒメが、困ったときに開けといった小袋のことを・・・

 

わたしはいそいでその袋を開けてみた。すると、そこには・・・

・・・一組の火打石が入っていた。

 

・・・これは・・・そうか!!

 

ひらめいたわたしは、すぐにヤマトヒメから授かった草薙剣を抜き、わたしの周りの草を薙ぎ払った。周りに防火帯を作ったわけだ。

しかし一人で薙ぎ払える草なんてたかが知れている。このままでは迫りくる巨大な炎にすぐに飲み込まれてしまうだろう・・・

 

そこで、わたしは火打石を取り出し、枯草に火をつけた。火はちょろちょろと燃えながら、枯野をわたしの周りの草を焼きながら広がっていき・・・

 

そして私に迫ってきた巨大な炎とぶつかった!

ふたつの炎は合わさって、野原を焼き尽くして沈下したのだった。

 

さて、こうして助かったわたしは、その夜、相模国造の屋敷に向かっていった。屋敷の中では宴会が開かれていた。

 

「大和の英雄といたって、ちょろいもんよ!もう既に大和の朝廷に攻め入る算段はできている。天皇め、今に見ておれよ・・・」

国造は上機嫌で酒を飲んでいた。

 

そこでわたしは、その座敷に乱入していった。

「ほう、それは楽しみだな・・・」

 

わたしの顔を見たときの国造の顔・・・あまりの驚愕に引きつっていた。

「お前、生きていたのか!・・・いったい、どうやって・・・」

 

しかしその言葉は最後まで言い終わらなかった。わたしに斬りかかってきた国造の従者を一撃に斬り捨てると、わたしは国造に襲い掛かった・・・一瞬だった!

国造は一瞬のうちに絶命してしまった・・・

 

さらにわたしはその屋敷に居たものを一人残らず斬り捨てた。その時である・・・

ヤマトタケルさま・・・」

 

この声、忘れはしない・・・オトタチバナヒメの声だ!

わたしは声がしたほうを見た。そこは屋敷の一室で、厳重に戸が締められていた。わたしは刀で戸を切り開いた。

そこには捕らえられていたオトタチバナヒメと、わたしの従者がいたのである。

 

ヤマトタケルさま!!」

 

わたしはオトタチバナヒメと従者らを助け出すと、屋敷に火をつけて死体ごと焼き払ってしまったのだった。

 

 

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ヤマトタケルの自伝 目次

 

 

 

草薙剣

 

三種の神器のひとつである草薙剣。ここでヤマトタケルが草を薙ぎ払ったことからその名があります。

しかしなぜか、古事記ではスサノオが八俣のおろちの尾から見つけたときから一貫して「草那芸之大刀」(くさなぎのたち)と呼ばれています。

 

日本書紀ではおろちの尾から刀が見つかったとき、本文で「これがいわゆる草薙剣である」と記しています。

そのうえで注釈で「元の名は天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)といい、これは大蛇(おろち)の上に常に雲があったことから名づけられたものだろうか。後に日本武皇子(やまとたけるのみこと)の世になり草薙剣に改められた」と記述してあります。

 

☆焼津

 

古事記には「このことからこの地を今では焼遺(やきつ)という」と記してあります。

現在の静岡県焼津市とされ、市内にはヤマトタケルを祀る焼津神社があります。

 

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