ヤマトタケルの自伝 15
そして駿河の国までやってきた。
ここでわたしはオトタチバナヒメと落ち合った。彼女は大和に居たときわたしが見初めた娘である。わたしを追ってこの駿河までやってきたのであた。
「オトタチバナヒメ・・・女の足で、よくぞここまで来てくれた!」
「ああ、ヤマトタケルさま・・・お会いできてうれしゅうございます」
そしてわたしはオトタチバナヒメを連れていくことにした。
もしかしたら足手まといになるかもしれにが、それよりも女の身でここまでわたしを慕ってきたことがうれしかったのだ。
そしてわたしは国造(くにのみやつこ/古代の地方長官)の屋敷を訪ねた。わたしはオトタチバナヒメと従者ともどもここに滞在することにした。駿河の国造もわたしを歓迎してくれた。
国造はその夜、歓迎の宴を用意してくれていた。
その席で、国造が言う。
「ヤマトタケルさま・・・東国の朝廷に従わない者どもを平定するたびとのことでありますが・・・
実はこの相模の国にも、荒々しく乱暴な一団がいるのです」
わたしはこの国造の話に少し興味を覚えた。
「ほう・・・それはどんな奴らだ?」
「はい、それはもう乱暴な奴らで、国造であるわたくしの命令も聞かず、民からは略奪のし放題、ほとほと手を焼いております。」
「そうか、そ奴らはどこにいるんだ?」
「はい、ここから東の、草が生い茂った野原の中に砦を築いてそこを拠点としています」
これを聞いたわたしは
「よし、ならば明日、そこに行ってわたしが自らそ奴らを征伐しよう」
と、国造に約束したのだった。
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☆相武の国
古事記ではこの話の舞台を「相武国」(さがむのくに)の出来事としています。しかし、「武蔵」「相模」はあっても、「相武」というのはありません。
これは写本で伝えられるうちに誤記されたとか言われていますが、よくわかりません。
日本書紀においては駿河での出来事となっています。拙ブログでもこれに従いました。
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