古事記の話

古事記を小説風に書き直してみました

肥の国にて

ヤマトタケルの自伝 8

 

 

クマソタケルの兄弟を討ち、ヤマトタケルとなったわたしは、熊襲国を離れ肥の国に来ていた。

 

肥の国のある村を訪ねたときのことである。クマソタケルをわたしが討伐したという話はその村にも既に伝わっており、村人はわたしを歓迎して迎え入れてくれた。わたしは村の長老に案内されて用意された仮宮に向かっていた。

そのとき、わたしの目に留まったのは、天を突くような立派な楠(くすのき)だった。

 

佐賀市印鑰神社の楠≫

 

わたしは思わず言った

「おおっ・・・これは立派な楠だな!!」

 

長老は答えて言う

「はい、この楠は朝日が照らせば影は杵島郡(きしまのこおり)の蒲川山まで届き、夕日が照らせば養父郡(やぶのこおり)の草横山を覆うほどでございます」

 

「うん、こんな茂り栄える楠は初めて見たぞ・・・おい、長老!」

「は、何でございましょう」

「この地を、この栄える楠にちなんで、佐嘉(さが)の国と呼んだらどうだ?!」

「これは誠に恐れ多いことでございます」

 

こうしてこの地を以後、佐嘉と呼んでいる。

 

その夜、仮宮に入ったわたしは、長老から土蜘蛛のことを聞いた。砦の奥に隠れて、村人から食料を強奪しては我が物顔で暴れまわっているらしい。

そこでわたしは、その土蜘蛛の討伐を引き受けた。

 

とはいえ、ヤマトヒメから借りた着物は血だらけである。もう女装して忍び込む手は使えない。

そこでわたしは長老に頼んで、偽りの葬式を出してもらった。

 

クマソタケルを討ったヤマトタケルはこの地で死んだ・・・そう言って荘厳な葬式を出してもらったのである。

案の定、土蜘蛛どもは砦から出てきて、わたしの葬式を見て指差し、あざけり笑った・・・そこをわたしは、背後から斬りつけたのである。

 

こうして土蜘蛛どもは悲鳴を上げる暇もなく絶命してしまった。

この地は土蜘蛛が砦を構えていたことから、これ以後、小城(おぎ)と呼ばれているという。

 

 

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ヤマトタケルの自伝 目次

 

 

肥前国風土記

 

「肥の国」は後に律令制により「肥前」「肥後」に分割されました。

 

この話は古事記ではなく、肥前国風土記に載っている話をもとに作りました。

肥前国風土記はほぼ完全な形で残っている5つの風土記のひとつです。記事中にはヤマトタケルの物語もいくつか収録されています。

 

この話は「佐賀郡」「小城郡」の地名の起源を説明しています。

佐賀郡」は今の佐賀市周辺です。現在、楠は佐賀の県木として親しまれています。

 

小城郡」は現在の小城市周辺です。小城市小城町の須賀神社周辺が土蜘蛛の砦があった場所だという説もあります。

(ちなみに偽の葬式をして背後から討った、というのは私が常陸国風土記タケカシマの話からパクって作った話です)

 

 

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