古事記の話

古事記を小説風に書き直してみました

悲劇、再び・・

野見宿祢の自伝 13

 

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サホビコの反乱は、陛下が率いる皇軍によって鎮圧された。

しかし、同時に陛下が寵愛していた后のサホビメさまも亡くなってしまった。

 

陛下のお悲しみは、見ていてもお気の毒なほどであった。表向きは公務に精を出していたが、その陰でサホビメさまへの思いは陛下の胸から離れなかったのだろう。陛下がおひとりになると、憂いに満ちた表情とともに大きなため息をつかれることが多々あった。

 

そんな折、丹波の国からミチノウシの娘4人が到着したとの報が入った。

サホビメさまは亡くなる間際、ミチノウシの娘をご自分の後の后として迎え入れるよう、陛下に進言しておられたのだ。

さっそく4人の娘は陛下の御前に通された。

 

娘の名は上からヒバスヒメ、オトヒメ、ウタコリヒメ、マトノヒメといった。

 

しかし、陛下はヒバスヒメとオトヒメだけを残して、ウタコリヒメとマトノヒメは故郷の丹波に送り返してしまわれたのである。

別にウタコリヒメとマトノヒメが醜かったわけではない。しかし陛下は、ヒバスヒメとオトヒメにサホビメさまの面影を感じられたのだろうか・・・その真相は陛下にしかわからない。

 

しかし、この話を陛下の側近から聞いたとき、嫌な予感がしていた。何しろ、皇室の遠い御先祖のニニギは、妹のコノハナサクヤビメだけを后にし、姉のイワナガヒメを醜いからと父親のオオヤマツミの大神のもとに送り返してしまった。オオヤマツミの神呪は今も皇室に降りかかり、代々の天皇の寿命は短いものとなっている。

 

もっとも、今は人の世。神代のころとは違って、神呪などがふりかかるようなことはなかった。しかし帰された二人の娘には、人の世のしがらみからくる悲劇が待っていたのである。

 

2人の娘は、泣きながら丹波への道を進んでいったそうだ。

「同じ姉妹なのに、姉二人だけ召されて自分は返された。これが郷に知れたら・・・ああ、どういう顔をして丹波に帰ればいいのだろうか・・・」と。

 

そして姉妹の陶の妹、マトノヒメは、山代の相楽(さがらか)で木の枝に綱をかけて、首を吊って死のうとしたそうだ。この時は付き添っていた近習のものに助けられて事なきを得た。

 

しかし・・・

 

弟国(おとくに)にまで来たとき、川の険しい淵に身を投げて、ついに死んでしまったそうだ。

 

この報が届いたとき、さすがの陛下も心を痛められた。そしてそのあと数日の間、陛下は裳に服されたのだった。

 

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オオビコの自伝 目次

 

 

☆相楽・弟国

古事記には「木の枝にさがった場所を懸木(さがりき)というようになった。今の相楽(さがらか)である。・・・険しい淵に落ちて死んだ場所を堕国(おちくに)というようになった。今の弟国(おとくに)である」と記載してあります。

 

「相楽」は現在の京都府木津川市相楽とされています。

 

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「弟国」は京都府長岡京今里と云われています。後に26代継体天皇が「弟国宮」を置きました。

 

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