野見宿祢の自伝 3
出雲から大和に上ってきた翌日。
宮殿の近くに、わたしとケハヤとの相撲の取り組みのため、土俵が作られていた。土俵のわきには陛下が着座されており、わたしとケハヤは陛下の侍従に従って陛下の御前に進み出た。
「ノミにケハヤ、ご苦労である。
ケハヤ、そなたの望み通り、最強の力士を出雲から招いたぞ。ノミ、遠い所をご苦労だった。
さあ、互いに存分に力を出して、相撲を取るがよい。勝者には望み通りの褒美を取らす」
わたしとケハヤは一礼して御前を離れ、土俵に上がった。わたしはケハヤと向き合う。
わたしもケハヤも、余計なことは何一つしゃべらなかった。ただ、ケハヤからは激しい気迫と闘志が発散されているのが手に取るように感じられる・・・相撲の修行を積んだわたしにはわかる、こいつはうわさ通り、かなりの強者だ・・・
・・・これは、厳しい試合になるな・・・
そこに「さあ、はじめよ」という陛下の声がかかった。
わたしとケハヤは互いに体を引き寄せがっぷりと組んだ・・・強い・・・これはうかつには動けない・・・
おそらくケハヤも同じことを感じたのだろう、ケハヤも組んでから動きがとまった・・・
わたしとケハヤはそのまま動けなかった・・・どのくらいの時間がたっただろうか・・・わずかな時間のはずだは、わたしには何日もたったように感じられた・・・腕がしびれる・・・しかしここで少しでも力がを緩めたら、そのすきをついてケハヤの攻撃を受けるだろう・・・ここは耐えるしかない・・・
そのまま、どれくらいの時間がたったのだろうか・・・
突然、急に強い風が吹いた・・・その風で互いに緊張していた両者の均衡が崩れたのだ!
よし、好機だ!そう感じたわたしは蹴り技を繰り出した!
しかし、考えることはケハヤも同じだった!ケハヤも蹴り技を繰り出したのだ!!
・・・しかし・・わたしのほうがほんの一瞬、早かったのだ!この一瞬の差がその後の勝負を決めたのだった!!
一瞬早く繰り出したわたしの蹴りは、ケハヤの胴を直撃した!遅れをとったケハヤはよろめき、その蹴りは宙を舞う。
そのすきをついて、わたしは攻勢を仕掛けた!
・・・そしてケハヤは・・・
わたしの蹴り技をくらい、あばらを折り、腰骨を折り・・・そしてついに、絶命してしまったのだった・・・
相撲はわたしの勝ちだった。
そして、ケハヤが所有していた当麻村の領地は朝廷に没収され、改めてわたしに下げ渡されたのだった。
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☆当麻蹴速
野見宿祢と相撲で対戦したケハヤは日本書紀には「當摩蹶速」(たいまのけはや)と記されています。一般的には「当麻蹴速」と表記されます。
ケハヤの出身地の当麻村は現在の奈良県葛城市當麻とされ、一般には傲慢なイメージがあるケハヤですが、地元では優しく力持ちの人気者だったそうです。
當麻にはケハヤをしのぶ「當麻蹶速塚」が建立されています。
☆相撲神社
この試合は日本で初めての相撲だと云われてますが・・・
それにしても、野見宿祢は当麻蹴早の肋骨と腰骨を踏み砕いて殺してしまったわけで、相撲というよりも、男塾の武闘会かよ・・・と思ってしまいますが・・・
野見宿祢と当麻蹴速が対戦したのは奈良県桜井市穴師と云われ、その地には相撲神社が建立されています。
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