野見宿祢の自伝 2
わたしは大和に着くと、さっそく宮中に参上した。そして陛下の御前に通されたのだ。陛下の御名はイクメイリヒコ(垂仁天皇)、初代神武天皇から続く第11代目の天皇(すめらみこと)である。
「出雲のノミ、おもてを上げるがよい」
陛下の凛とした声が響く。わたしは顔を上げて陛下のお顔を拝した。
「遠い所をご苦労だった。そなたは出雲一の力持ちで、国造(くにのみやつこ)を務める傍らで相撲の修行に励んでいるそうだな」
「はい、恐れ入ります」
「そなたにわざわざ来てもらったわけは、そなたとケハヤとの相撲を見てみたいのだ」
こう言われて、陛下はケハヤのことをお話しされた。
なんでもケハヤは大和国の当麻村(たいまむら)に住んでいるという。とてつもない力持ちで、猪と格闘しては牙を折り、曲がった鋼の棒も素手で伸ばすそうだ。
ケハヤは
「この世に自分より強いものはないだろう。ほかに力持ちと自慢する奴がいたら、生死をかけた力比べをしてみたいものだ」
と、常々言っているという。
この話を聞いた陛下は、ケハヤと並ぶ力持ちはおらぬかと仰せになったところ、側近の一人がわたしのうわさを陛下に進言した。そしてわたしが呼び出されたというわけだった。
「明日、ケハヤと合わせよう。余の前で相撲を取ってほしいのだ。引き受けてくれるか?」
陛下に言われたわたしは
「はい、謹んでお受けいたします。きっと満足できる相撲をご覧に入れて差し上げましょう」
と、お答えしたのだった。
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☆垂仁天皇
第11代垂仁天皇の名前は、古事記での表記は伊久米伊理毘古伊佐知命(いくめいりびこいさちのみこと)、日本書紀での表記は活目入彦五十狭茅天皇(いくめいりびこいさちのすめらみこと)です。
父は先代の崇神天皇、母は前章の語り手であったオオビコの娘ミマツヒメです。
宮は「師木玉垣宮」(しきのたまがきのみや)、現在の奈良県桜井市巻野内にあったと伝えられます。
桜井市観光協会 纏向珠城宮伝承地(「纏向珠城宮」は日本書紀での表記)
また、垂仁天皇を祀る京都府久世郡御山町市田の珠城神社も垂仁天皇の宮跡と伝わっております。
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