オオビコの自伝 5
疫病を鎮めるため、オタタネコを神官としてオオモノヌシの大神を祀ることになった。
オオタタネコはオオモノヌシの大神が鎮座される三輪山に詰め、日夜オオモノヌシの大神に祈り、拝み祭っていた。
ちょうどそのころ、神牀(かむどこ)に寝る陛下の夢枕にたびたびオオモノヌシの大神が現れるようになった。
陛下は朝になるとその夢の話をし、オオモノヌシの大神のお告げの通りにするよう、わたしたち側近に命令を下していた。
まずは側近のイカガシコオに命じて素焼きの器をたくさん作り、神に供えて祭祀を行った。また天神・地神の社を作り、そこに神々を祀ったのだった。
また、宇陀の墨坂神に赤色の盾と矛を奉納し、また大坂神には黒色の盾と矛を奉納するようお命じになられた。赤や黒には穢れや病を防ぐ呪力を持つと昔から信じられている。
さっそくわたしは赤や黒の盾・矛を用意させ、配下の者に命じてそれぞれの神のもとに奉納させた。
さらには山の尾根の神から川の瀬の神までことごとく幣物を奉納し、もれなくすべての神を祀るようにしたのである。
これらをすべて行うと、疫病は少しずつおさまっていった。数か月もたったころには疫病は終息し、国は安らかになっていた。
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☆イカガシコオ
古事記では「伊迦賀色許命」、日本書紀では「伊香色雄」と表記されており、物部氏の祖とされています。ニギハヤヒの6代目の子孫と云われています。
大阪府枚方市の意賀美神社(おかみじんじゃ)は元はイカガシコオの邸宅だったと伝えられます。
☆墨坂神・大坂神
宇陀の墨坂は奈良盆地の東の入り口にあたります。この時、ここに祀られた墨坂神は現在の墨坂神社と伝えられています。
また、大坂は現在の奈良県香芝市逢坂であり、奈良盆地の西の入り口になります。すなわち奈良盆地の東西の入り口に神を祀って、都に災厄が入ってくるのを防ごうとしたのでしょう。
香芝市には大阪山口神社が二か所あり、この両方がこの時祀られた神だとも、いずれか一方が当時の神だとも云われています。
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