オオビコの自伝 4
わたしは陛下の命に従い、四方に調査隊を派遣してオオタタネコという人物を探させた。
そしてほどなく報告が入ってきた。河内の美努村(みのむら)にオオタタネコという人物が見つかたというのである。
わたしはさっそく、陛下の名において彼を宮中に召し出させた。
数日後、オオタタネコは宮中に参上した。しかし彼は見たところ貧相な中年男で、特に何かずば抜けたような能力を持っているようにも思えない。はたして彼が本当に陛下が夢に見た、オオモノヌシの大神が指名したオオタタネコなのか・・・
とにかくわたしは彼を陛下の御前に連れて行った。彼は陛下の前で膝まづく。
「オオタタネコ、面を上げよ」
陛下の凛とした声が響く。膝まづいたオオタタネコが顔を上げた。
「そなたがオオタタネコか?」
尋ねる陛下の声にはどことない不安が感じられた。おそらく陛下も彼を見たとき、わたしと同じことを感じられたのだろう。
「はい、さようでございます」
オオタタネコは答える。続けて陛下は彼に尋ねられた。
「そなたはオオモノヌシの大神と何か関係があるのか?」
「はい、オオモノヌシはわたくしの祖先であります。オオモノヌシから数えて5代目がわたくしオオタタネコであります。」
これを聞いた陛下はたいそうお喜びになった。
「おう、そうか!!そなたはオオモノヌシの大神の子孫なのか!なるほど、それで大神はそなたを指名したのだな。
オオタタネコ、頼む!世の疫病を鎮め、太平な国を作るため力を貸してくれ!」
「はい、謹んでお仕えいたします」
こうしてオオタタネコを神官としてオオモノヌシの大神を祀ることになった。
前<<< 神牀の夢 - 古事記の話 (hatenablog.com)
次>>> 神を祀る - 古事記の話 (hatenablog.com)
古事記では本文の通り、オオタタネコ(意冨多々泥古)はオオモノヌシの5世孫とされています。
三輪神社摂社の大直禰子神社(おおたたねこじんじゃ)に祀られています。
オオタタネコが住んでいた河内の美努村。かつて美努連(みののむらじ・みぬのむらじ)が支配していた、大阪府八尾市上之島附近と考えられています。その地の御野縣主神社(みのあがたぬしじんじゃ)は美努連が祖神を祀ったものとされます。
☆日本書記でのオオタタネコ
日本書記では「大田田根子」と表記され、オオモノヌシの子となっています。
日本書紀ではオオタタネコは「茅淳縣陶邑」(ちぬのあがたのすえむら)に住んでいました。現在の大阪府堺市中区上之と考えられ、オオタタネコの祖霊を祭ったのがこの地の陶荒田神社(すえあらたじんじゃ)と云われています。
≪古事記関連の姉妹サイト≫
小説古事記
古事記ゆかりの地を訪ねて
≪その他の姉妹サイト≫