神武天皇の自伝 36
わたしはイスケヨリヒメを后として迎えることになった。
イスケヨリヒメと出会ったその日、わたしは狭井川の上流にあるイスケヨリヒメの家を訪ね、そこで彼女と一夜を過ごした。
イスケヨリヒメの家の周りには山百合がたくさん茂り、きれいな花を咲かせていた。
大和の民は、皇后イスケヨリヒメを歓声で迎えてくれた。
イスケヨリヒメが宮に入ったとき、わたしは歌を詠んで彼女を迎えた。
葦原の 小さな小屋に ふたりきり
清い畳で 一緒に寝たね
わたしとイスケヨリヒメとの間には3人の男児が生まれた。ヒコヤイ、カムヤイミミ、カムヌナカワミミである。
考えてみれば、日向にいたとき、わたしはまさか天皇(すめらみこと)として日本を統治することになろうとは思ってもいなった。わたしはただ、兄イツセの補佐だけしてればそれでいいと考えていたのだ。
しかし東征の途中で兄イツセが敵に討たれ、気が付けば意図せずしてわたしが日本の国を率いていくことになってしまっていた。
重い責任を負ってしまったわたしだが、しかし日本は豊かな葦原に瑞穂が実る良い国だ。
この国を統治できることに誇りおもう。
この日本の国は、この先もずっとアマテラス大御神の威光により、いつまでも永遠に続いていくであろう。
ー 神武天皇の自伝 完 ー
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☆山百合
古事記には
「イスケヨリヒメの家は狭井川の上流にある。その川辺には山百合がたくさんある。山百合の古語は『さゐ』なのでその川を『さゐ川』というようになった」
と記述されています。
≪山百合≫(画像は写真ACより)
皇后イスケヨリヒメは神武天皇を祀る神社に一緒に祀られていることが多いですが、奈良県奈良市本子守町の率川神社(いさがわじんじゃ)では主祭神として祀られています。
☆神武天皇陵墓
神武天皇の陵墓は橿原神宮のすぐ隣にある「畝傍山東北陵」とされています。
☆ 神武天皇の自伝 完結です
最後までお読みいただきありがとうございました。
「神武天皇の自伝」はいったん完結しましたが、次回よりイワレの息子たちの話を「神武天皇の自伝 番外編」として公開します。引き続きよろしくお願いいたします。
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