神武天皇の自伝 30
ナガスネビコが見せた矢と矢筒。これを見てわたしは驚愕した。確かにそれは高天原の神聖な武具であった。本物なのだ!
わたしは気を取り直して、ナガスネビコに言った
「確かにお前が君と報じるニギハヤヒは、天の御子であることに間違いないようだ。しかし、わたしも天の御子なのだ」
そういって、わたしも自分の矢と矢筒を見せた。天孫二ニギがアマテラス大御神から授かり、その後代々にわたって受け継がれてきたものだ。
それを見て、ナガスネビコの表情が変わった・・・みるみるうちに顔から血の気が失せていったのだ・・・ナガスネビコはがたがたと震えだした・・・
と思うと、わたしの前で手をつき
「恐れ入りました。確かにあなた様も天の御子でございます。」
と、額を地面にこすりつけるようにして言った。
それを見たとき、わたしはナガスネビコに向けていた怒りがす~~と静まっていくのを感じた。
ナガスネビコも天の御子に忠誠を尽くしていたのだ・・・ただ、主君と奉じるニギハヤヒを護ろうと思ったのに過ぎないのだ・・・
もういいじゃないか・・・許そう・・・わたしがそう思った時だった。
「確かにあなた様は天の御子でございます。しかし、わたしが仕える天の御子は、ニギハヤヒさまただ一人でございます!」
ナガスネビコはそういったかと思うと、突如立ち上がった。そして脱兎のごとく駆け出した。
ナガスネビコは慌てて取り押さえようとする兵士らをものすごい力で振り払ったと思うと、全速で駆け去っていった。
兵士らは逃げ出したナガスネビコを追おうとする。
わたしは兵士らに声をかけた
「もういい、追うな・・・どうせ奴に、反撃する力は残っておらん」
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☆ナガスネビコ
ナガスネビコは古事記では「登美能那賀須泥毗古」(とみのながすねびこ)、また「登美毗古」(とみびこ)とも表記されています。
一方日本書紀では「長髄彦」(ながすねびこ)と表記されており、
「長髄は元は邑(むら)の名であり、これが人名となった。皇軍の鵄(とび)を見て土地の人は鵄邑(とびむら)というようになった。今、鳥見(とみ)というのはこれがなまったものである」
と記述されています。
つまりもともとは「ながすね村の首長」という意味でナガスネビコ、これが神武東征で金の鵄が現れてからそこを「とみ村」というようになりナガスネビコもトミビコと呼ばれるようになった、という事なのでしょうか。
かむながらのみち 長髄彦本拠・鳥見白庭山石碑
かむながらのみち 鵄神社
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