神武天皇の自伝 10
ナガスネビコの軍勢に奇襲を受けた我々は、命からがら船に戻り、艦隊を出港させた。
この戦いで兄イツセは腕に敵軍の矢を受けていた。
「兄上、しっかり」
わたしは矢を抜き、イツセの傷の手当てをするが、しかし出血が多い。大丈夫だろうか・・・
わたしは吉備の高島宮での占いが頭をよぎった・・・まさか「不幸と困難」とはこのことだったのか・・・
その時、苦しい息の下からイツセが言った
「イワレ・・・艦隊を南に回せ・・・」
「兄上・・・」
「いいか、イワレ、よく聞け・・・我々は日の御子だ。しかし、日が昇る東に向かって戦ってしまった。これがよくなかったんだ・・・だから、わたしは卑しい奴の痛手を受けてしまったんだ・・・
・・・イワレ・・南に回って上陸し、今度は日を背にうけて戦うんだ・・・」
「兄上、わかりました・・・でも兄上!しっかりしてください!我が皇軍を率いていくのは兄上なんですよ!!」
イツセのこの言葉を受けて、河内の湖を出た我々は海岸沿いに南進していく。
わたしはイツセの血を海水で洗い、必死で傷の手当てを続けた。しかし、イツセは日に日に弱っていった。
「兄上!しっかりしてください!」
わたしは必死でイツセに呼びかける。しかし、反応はない・・・
・・・ああ、兄上・・・どうか助かってくれ・・・わたしは天地の神に祈り続けた。しかしその祈りもむなしかった・・・
意識がなかったイツセが、ふと目を開けた
「ああ、兄上!気が付いたのですね!」
わたしは喜んで、イツセに語り掛けた。しかし、その喜びは一瞬だった・・・
「ああ、わたしはあんな卑しい奴の手傷を受けて死ぬのか!!」
イツセは大きな声で言った。雄たけびともいえるほどの叫び声だった。
そして、それっきりだった・・・その雄たけびを最後に、イツセは息をしなくなってしまった・・・
前<<< 白肩津に上陸するが・・ - 古事記の話 (hatenablog.com)
次>>> イツセを葬る - 古事記の話 (hatenablog.com)
☆血沼海
イツセが血を洗った海は、血沼海といわれるようになったと古事記に記述してあります。現在の大阪府泉佐野市付近と言われています。
☆水門吹上神社
イツセが雄たけびしてなくなった地は男水門(おのみなと)と言われるようになりました。
男水門と推定されているところは主に二つあり、その一つは和歌山市の水門吹上神社です。
☆男神社
もうひとつ、大阪府泉南市の男神社(おのじんじゃ)摂社の浜宮もイツセがなくなった地と伝わります。男神社は「おたけびのみや」ともいわれます。
大阪観光局 男神社
紀泉伝次郎・趣味のブログ 男神社摂社・浜宮
≪古事記関連の姉妹サイト≫
小説古事記
古事記ゆかりの地を訪ねて
≪その他の姉妹サイト≫