国引き神話 4
新羅の国から、また北門の佐伎から、北門の波良から、わたしは国を引いてきた。
もう少しばかり国を広げたい。どこか、国が余っているところはないか・・・わたしの目に留まったのは、古志の都都(こしのつつ)の岬だった。
古志は広大な国で、土地も広い割には人口は少ない。よし、ここから国を引いてこよう。
そう考えたわたしは、また少女の胸のような平らな鋤を持つと、古志の国までやってきた。
そして岬の付け根にその鋤を突きさした。そしてすきを深く突き刺していき、その岬を半島から切り離したのだ。あたかも大魚のえらを突いて、その身を切り離すように。
そして切り離した土地に、三つ縒りの太い綱を打ちかけた。そしてわたしは出雲の国に戻ると、その綱を手繰って引き寄せたのだ。
川につながれた船を手繰り寄せるように、そろりそろりと。「国よ来い、国よ来い」と唱えながら。
そしてその土地は、古志から切り離され、海をそろりそろりと動いていった。わたしは手に力を籠め、綱を手繰り寄せる。
そしてその国は、少しずつ出雲の国に近づいてきた。
よーし、もう少しだ・・・力を込め、なおかつ慎重に国を手繰り寄せる。そして国は出雲までやってきたのだった。
こうして引っ張ってきた土地は、三穂の埼である。
私はその土地が動かないようにしっかりと杭を立て、引いてきた綱を結わえ付けた。
その綱は夜見の島である。また、立てた杭は火神岳(ひのかみだけ)となった。
「ああ、国を引き終えた・・・立派な国になった!!」
わたしはそういうと、国を引くとき支えにした杖を立てた。
「おう!我ながらよくやった!!」・・・わたしがそういった時のことだった。
ばんざーい!ぱちぱちぱち~~!!
わたしの背後で歓声と拍手が沸き起こった。
振り向くと、領民が集まっていた。国を引いてきたわたしに対して、感謝と慰労の意を表していたのだ。
「・・・みんな、ありがとう・・・」
わたしは感極まった。涙があふれてきてとまらなかった。わたしはこの領民たちのために、よりよい統治に努めていくことを誓ったのだった。
わたしが「おう!」と言って杖を立てたその地は、今では意宇(おう)と呼ばれている。
- 国引き神話 完 -
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☆古志の都都・三穂の埼
「古志」は今の北陸地方です。後に「越」とも書かれるようになり、律令制により越前・越中・越後に分割されました。
☆夜見の島・火神岳
ヤツカミヅオミヅノが引いた綱が「夜見の島」、中海と美保湾を仕切る弓ヶ浜半島だとされています。
美保関から弓ヶ浜を通っていった先にある、綱を結びつけた火神岳。伯耆富士ともいわれる鳥取県の大山です。
≪美保関から見る大山≫
☆意宇の杜
≪意宇の杜≫
ヤツカミヅオミヅノが杖を突き立て「おう」と言ったところは意宇杜(おうのもり)と呼ばれています。松江市竹矢町はじめいくつか推定地が存在します。
国引き神話、これで完結です。お読みくださいました皆様、ありがとうございました。
次は古事記に戻って海幸山幸の神話を紹介したいと思います。11月20日(土)より公開いたします。
引き続きよろしくお願いいたします。
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