神武天皇の自伝 4
日向の美々津を出港した我々は、九州の沿岸沿いに北上していった。順調に艦隊は進み、豊国(とよのくに)の宇佐に至った。
我々は補給と休憩のために宇佐の港に入港した。
宇佐の港に入港した我々は大歓迎を受けた。そしてこの土地を支配するウサツヒコ・ウサツヒメの兄妹が、わたしと兄イツセのもとを訪ねてきた。
ウサツヒコは言う。
「天の御子様、ようこそ宇佐の地にいらっしゃいました。天の御子がいらっしゃるという話を聞き、我々は急ぎ歓迎のために、行宮として足一騰宮(あしひとつあがりのみや)を建ててお待ちしておりました。
どうぞ、足一騰宮のほうへお越しくださいませ」
そこでわたしと兄イツセはその足一騰宮へ向かうことにした。
「ほう、あれが足一騰宮か、面白い形をしているな」
イツセが言う。
そう、その宮は川と陸にまたがって建てられていた。宮の一方は普通に陸の上に柱が建っていたが、もう一方は川底に柱が建てられ水面に突き出していた。
ウサツヒコが答えて言うには、
「はい、あたかも水面から足を出して陸に上がろうとしているようなので、足一騰宮と名付けました」
そして我々はその足一騰宮に数日間滞在し、出港したのだった。
そして出港した船団には、ウサツヒメが加わっていた。
実は従者の一人、タネコがウサツヒメと恋に落ち、ウサツヒメも一緒に連れていきたいと申し出てきたのだ。兄イツセはこれを許した。
タネコはコヤネの子孫である。
はるか悠久の昔、高天原でアマテラス大御神が岩屋にこもったとき、外に誘い出すのに重要な役目を務めて、天孫二ニギに従って降臨してきた神だ。降臨後も代々我々に仕えてきた忠臣だ。
イツセにもわたしにも、タネコの申し出を拒む理由はなかった。
ウサツヒコも妹が離れていくという寂しさがあったようだが、しかしタネコとの結婚には賛成してくれたのだった。
そして数日ののち、ウサツヒコの見送りを受けながら、ウサツヒメを加えた我々の艦隊は宇佐の港を出港したのだった。
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☆足一騰宮
古事記での表記は「足一騰宮」、日本書紀では「一柱騰宮」、読みはどちらも「あしひとつあがりのみや」です。この意味としては
1、水面から足を出して上がろうとしている宮(拙ブログで採用)
2、一歩で上がれるくらい床が低い宮
3、刻んだ柱一本だけを階段として掛けた宮
等の解釈がなされています。
足一騰宮の場所については宇佐神宮境内のほかいくつかの推定地があります。
☆タネコ
アマテラスの岩戸隠れの時、アマテラスを誘い出すのりとを唱え、アマテラスの姿を映す鏡を見せたのがコヤネです。タネコはその子孫になります。
タネコとウサツヒメの話は古事記には載っておらず、日本書紀に載っている話をもとにして作りました。
その子孫は中臣氏となり、大化の改新により藤原氏となって幕末まで権力をふるいました。
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