こうしてわたしとスクナビコナは義兄弟の契りを結んだ。そして一緒に日本の国造りに励んでいった。
スクナビコナはその小さな体に似合わず、知恵の塊であった。酒造、医薬、呪術など、ありとあらゆる知識を持っていた。
スクナビコナという強力な相棒を得て、わたしの日本統治は順調に進んでいった。二人力を合わせて民と家畜の治療法を定め、害獣・害虫の被害を防ぐための呪法を広めていった。
こうして日本の民は日増しに豊かになっていった。
わたしとスクナビコナは、兄弟として、いやそれ以上の強い絆で結ばれていた。
そしてわたしとスクナビコナは、二人して日本各地に巡行に出ることも多かった。わたしが支配する日本の国の民にスクナビコナの知識を伝え、豊かな国づくりのために。
播磨の国に巡行に出たときは、悪ふざけでふたりでくだらない競争もしたこともあった。
『大きな赤土の塊を担いでいくのと、クソを我慢していくのと、どちらが遠くまで行けるだろうか』という競争をしたのである。
わたしはクソを我慢し、スクナビコナはその体の割には大きな赤土の塊を担ぎ・・・そのまま何日も歩き続けた。そしてついに私が先に「ああ、もう駄目だ!」と草むらに駆け込み脱糞したのである。競争はスクナビコナの勝ちだった。
スクナビコナも「ああ、自分も苦しかった!」と赤土の塊を投げ出し、二人で笑いあったのだった。
一方、伊予の国に巡行に出たときに、わたしが急病にかかり倒れてしまったことがあった。この時、スクナビコナは豊後の国の大分から豊予海峡の下に樋を敷設し、速水の湯を引いてきた。速水の湯とは後の別府温泉である。スクナビコナはこの湯が万病に効くことも知っていたのだ。
そしてわたしを湯あみさせ、わたしは回復した。
この時引いてきた湯はその後も湧き続け、今では道後温泉となって多くの湯治客が訪れている。
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オオクニヌシとスクナビコナの「赤土の塊を担いでいくのと、糞をするのを我慢していくのと、どちらが遠くまで行けるだろうか」という競争・・・
この話は播磨国風土記の神前郡(かむさきのこおり)の条に掲載されています。
☆道後温泉
一方、道後温泉の話は伊予国風土記(逸文)に依ります。道後温泉にはこの伝説にかかわる「玉の石」があり、またオオクニヌシとスクナビコナは温泉街の中の「湯神社」に祀られています。
≪道後温泉本館そばの「玉の石」(令和2年11月21日現在、本館の改修工事に伴い塀に囲まれています)≫
なお、この話、オオクニヌシとスクナビコナが入れ替わって語られることが多いですが、小学館の「新編日本古典文学全集 風土記」によると、病にかかったのがオオクニヌシでそれを治したのがスクナビコナ、ということになっています。拙ブログではこちらの話のほうをもとに作成しました。
≪リンク≫
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