わたしが禊をし、三貴神を産んでから数年の時が経った。
わたしは悩んでいた。
悩みの種は末っ子のスサノオである。
アマテラスとツクヨミはそれぞれの世界に赴き、私が指示した通りの世界を治めている。しかしスサノオだけは違ったのだ。
スサノオは何年たっても、命じられた海に行くことは無かった。
いつまでも泣いていた。鬚が胸の前まで伸びていい大人になっても、である。
それも尋常でない、大きな声で泣き叫ぶのである。
スサノオは武の神である。もともと気性も荒く、それが大声で泣くものだからたまらない。山も野も枯れ、川も海も干上がってしまう。その声に邪神が引き寄せられ、民は疫病に、干ばつに苦しむようになっていた。
最初のうちは、そのうち海に行くだろうと見守っていた。しかしもう何年も続いている。わたしはもう、我慢がならなくなった。
「スサノオ、お前はどうして泣いてばかりいるのだ?なぜ海に行かない?」
返ってきた答えは意外なものだった
「父上・・俺はお母様に会いたい。お母様がいる根の国に行きたいんだ・・」
「なに・・・」
脳裏に亡き妻、イザナミの姿が横切る。
そうか、スサノオは母の記憶が無いんだ・・一瞬、スサノオに不憫さを感じる。
・・しかし、それはアマテラスやツクヨミにしても同じことだ・・
わたしはスサノオに向かって言った
「だめだ・・イザナミはもう死んだんだ。現世の神は死の世界に行くことはできない。それくらい、わかるだろう」
「いやだ!俺はお母様のところに行く!」
ここにきてついに、堪忍袋の緒が切れてしまった
「だったらどこへでも行くがいい!とにかくここには居るな!」
スサノオは
「そうかい!だったら俺の好きなようにさせてもらうよ!」
それだけ言うと、私の神殿を出て行ってしまった・・。
私は冷たく突き放しはしたが、後になってスサノオがまた問題を起こしやしないか、心配していた。案の定、その後高天原でひと騒動起こしたようだ。
しかしその後は改心し、今では日本各地で祀られているのをみると、親としていくらかは誇りに感じるものだ。
≪スサノオ≫
だがその時は、何も考える余裕はなかった。考えたのは、我が身の、神としての力の限界だった。
それに、私とイザナミとで産んで育てた日本の国は、これもわたしたちが産んだ八百万の神々の下、繁栄していた。
・・・もう潮時だ・・あとは子供たちに任せて引退しよう・・・
わたしは近江の多賀にやってきた。
そして時がたった。わたしは令和の今の時代に至るまで、この多賀の地から激動の日本を見守ってきた。しかしいつの世もイザナミを弔うことは忘れなかった。
そしてわたしは今も、この多賀の地で、イザナミの御魂とともに、静かに過ごしている。
ー イザナギの自伝 完 ー
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☆多賀大社
古事記ではイザナギの記述の最後は「イザナギの大神は淡海(おうみ)の多賀に鎮座されている」と結ばれています。現在の滋賀県犬上郡多賀町の多賀大社とされています。
一方、日本書紀は「幽宮(かくれみや)を淡路の国に造り静かにお隠れになった」というのがイザナギに関する最後の記述です。淡路島にある伊弉諾神宮だとされています。
古事記の「淡海」は「淡路」の誤記ではないかという説が有力です。
拙ブログでは古事記の記述に従い、イザナギは近江の多賀に鎮まったことにしました。
「イザナギの自伝」完結です。お読みくださいました皆様、ありがとうございました。古事記に出てくる神様が自らの生涯をつづった自伝、これからも拙ブログ内で続けてまいります。よろしくお願いいたします。
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