古事記の話

古事記を小説風に書き直してみました

そして、多賀の地へ

 

f:id:karibatakurou:20200828120251p:plain

 

わたしが禊をし、三貴神を産んでから数年の時が経った。

わたしは悩んでいた。

 

悩みの種は末っ子のスサノオである。

 

アマテラスとツクヨミはそれぞれの世界に赴き、私が指示した通りの世界を治めている。しかしスサノオだけは違ったのだ。

 

スサノオは何年たっても、命じられた海に行くことは無かった。

いつまでも泣いていた。鬚が胸の前まで伸びていい大人になっても、である。

 

それも尋常でない、大きな声で泣き叫ぶのである。

 

スサノオは武の神である。もともと気性も荒く、それが大声で泣くものだからたまらない。山も野も枯れ、川も海も干上がってしまう。その声に邪神が引き寄せられ、民は疫病に、干ばつに苦しむようになっていた。

 

最初のうちは、そのうち海に行くだろうと見守っていた。しかしもう何年も続いている。わたしはもう、我慢がならなくなった。

 

スサノオ、お前はどうして泣いてばかりいるのだ?なぜ海に行かない?」

 

返ってきた答えは意外なものだった

「父上・・俺はお母様に会いたい。お母様がいる根の国に行きたいんだ・・」

「なに・・・」

 

脳裏に亡き妻、イザナミの姿が横切る。

そうか、スサノオは母の記憶が無いんだ・・一瞬、スサノオに不憫さを感じる。

 

・・しかし、それはアマテラスやツクヨミにしても同じことだ・・

 

わたしはスサノオに向かって言った

「だめだ・・イザナミはもう死んだんだ。現世の神は死の世界に行くことはできない。それくらい、わかるだろう」

「いやだ!俺はお母様のところに行く!」

 

ここにきてついに、堪忍袋の緒が切れてしまった

「だったらどこへでも行くがいい!とにかくここには居るな!」

 

スサノオ

「そうかい!だったら俺の好きなようにさせてもらうよ!」

それだけ言うと、私の神殿を出て行ってしまった・・。

 

私は冷たく突き放しはしたが、後になってスサノオがまた問題を起こしやしないか、心配していた。案の定、その後高天原でひと騒動起こしたようだ。

しかしその後は改心し、今では日本各地で祀られているのをみると、親としていくらかは誇りに感じるものだ。

 

f:id:karibatakurou:20200916035829p:plain

スサノオ

 

だがその時は、何も考える余裕はなかった。考えたのは、我が身の、神としての力の限界だった。

 

それに、私とイザナミとで産んで育てた日本の国は、これもわたしたちが産んだ八百万の神々の下、繁栄していた。

 

・・・もう潮時だ・・あとは子供たちに任せて引退しよう・・・

 

わたしは近江の多賀にやってきた。

 

そして時がたった。わたしは令和の今の時代に至るまで、この多賀の地から激動の日本を見守ってきた。しかしいつの世もイザナミを弔うことは忘れなかった。

 

そしてわたしは今も、この多賀の地で、イザナミの御魂とともに、静かに過ごしている。

 

ー イザナギの自伝 完 ー

 

前<<<  三貴神が生まれた - 古事記の話

 

イザナギの自伝 目次

 

 

多賀大社

 

f:id:karibatakurou:20200920035518j:plain

 

古事記ではイザナギの記述の最後は「イザナギの大神は淡海(おうみ)の多賀に鎮座されている」と結ばれています。現在の滋賀県犬上郡多賀町多賀大社とされています。

 

karibaryokouki.hatenablog.com

 

 

一方、日本書紀は「幽宮(かくれみや)を淡路の国に造り静かにお隠れになった」というのがイザナギに関する最後の記述です。淡路島にある伊弉諾神宮だとされています。

 

伊弉諾神宮 wikipedia

 

古事記の「淡海」は「淡路」の誤記ではないかという説が有力です。

拙ブログでは古事記の記述に従い、イザナギは近江の多賀に鎮まったことにしました。

 

イザナギの自伝」完結です。お読みくださいました皆様、ありがとうございました。古事記に出てくる神様が自らの生涯をつづった自伝、これからも拙ブログ内で続けてまいります。よろしくお願いいたします。

 

≪リンク≫
 
小説古事記

古事記ゆかりの地を訪ねて
カリバ旅行記 本日更新
温泉の話
駅弁の話
鉄道唱歌の話 本日更新