また天皇は、山城の国に捜索隊を送っていた。
天皇はかつて幼少時、山城の国の苅羽井で、逃走中に自分たちの食糧を奪った猪飼いの老人を探していたのである。
その老人はまだ存命だった。老人は捕らえられ、天皇の前に引き立てられた。
天皇は言う
「そなた、わたしと兄の食糧を奪ったこと、覚えているであろう」
老人は縛られたまま、おびえて釈明する
「お許しください・・まさか天子様の御子とは思わなかったもので・・」
「黙れ!身分は関係ない!窮地に居る幼い子の食糧を奪うことが、そもそも人の道に外れたことなのだ!それが分からんのか!」
そして天皇は飛鳥川の河原で老人を処刑した。その一族はことごとく足の筋を斬った。
そして今、猪飼の子孫が大和に上るときは、まっすぐ歩けず足を引きずるようになったという.
また、その老人が居たところが後世にも伝わるよう、その場所を示す碑を建てた。その地を志米須(しめす)というようになったという。
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☆志米須
老人本人だけでなく、一族はすべて罰として脚を斬られ、子孫代々たたられることになりました。
現代では理不尽なことですが、この当時、連座制は当然のことだったのでしょうね。
その場所を示す「志米須」、現在の奈良県高市郡明日香村祝戸とも言われますが、よくわかりません。
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