古事記の話

古事記を小説風に書き直してみました

逃げた御子たち

 

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オシハは次の皇位を狙うオオハツセに殺された。

 

オシハには二人の男の子がいた。兄の名はオケ、弟の名はヲケと言った。

オオハツセにとってはこの二人も邪魔だった。自分は父親を殺された仇でもあるし、将来の政敵となる可能性も高い。邪魔な芽は早いうちに摘んでおけとばかり、この二人のもとにも軍を差し向けたのだ。

 

しかしそれよりも早く、オシハの家臣によって、父親の死の急報は二人のもとにもたらされていた。このままここにいては危ないと、兄オケは幼い弟ヲケを連れて、オシハの家から逃走したのだった。

 

二人は山代の苅羽井まで逃げてきた時だった。二人は一息ついて食事をとっていた。

するとそこに顔中に刺青をした老人が現れ、二人を脅し、二人が食べていた食料を奪った。

 

「なにをする!」

幼いヲケが気丈にも叫ぶ。しかし身体の大きなその老人に、まだ子供の兄弟は2人がかりでも敵わないだろう。

 

兄のオケは弟を制止し

「食べ物は惜しくない、貴様にくれてやる。だが、貴様は誰だ!」

静かに言った。

老人は

「ふん、わしは山代の猪飼いよ!」

そう言い残すと、去っていった。

 

オケとヲケは、久須婆の川を渡って逃げ、播磨の国まで逃げてきた。しかしそこで二人の兄弟は食料もつき、動けなくなった。

 

兄弟はその地の豪族、シジムに助けを求めた。

もちろん身分は明かせない。オシハの御子だと知れると、オオハツセが追討軍を送る恐れがある。

 

「父も母もなくなって、家も田畑も他人にとられ、やっとここまでやってきました。お願いです、どんなことでもしますから、屋敷に置いてください」

二人の御子は、頭を下げて必死に頼み込んだ。

 

シジムは二人を憐れみ、屋敷に置いて働かせることにした。

オケとヲケはシジムの家で馬や牛の世話をしながら過ごしたという。

 

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☆オケとヲケ

 

古事記での表記は「意祁王(おけのみこ)」と「袁祁王(をけのみこ)」です。

 

現代日本語では「オ(お)」も「ヲ(を)」も同じ発音です。

しかし「ヲ(を)」は本来、ワ行オ段(WO) の音であり、古事記が書かれた当時ははっきり区別されて発音されていました。

 

 ☆山代の苅羽井、久須婆の川

 

苅羽井がどこかははっきりしません。

 

久須婆の川とは淀川のこと。久須婆は現在の大阪府枚方市樟葉です。崇神天皇の話でも出てきています。

 

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