ニニギの自伝 9
わたしは高千穂の宮で、日本の国の統治に乗り出した。
ところで、わたしをくしふる嶽まで導いてきてくれたサルタビコだが、高千穂の宮でもしばらくわたしのそばに仕えていた。
何しろ、日本の国の統治を任されたとはいえ、降りてきてからは何もかもわからないことだらけであった。そんな折、日本の国つ神であり、日本の国の事情をよく知るサルタビコは頼りになる存在であった。
わたしは日本の国の統治を行う上で、サルタビコを重用していたのである。
しかしそんな折のこと、サルタビコがわたしの前に進み出て申し出た。
「ニニギさま、わたくしは、ニニギさまが降臨する際の案内役として仕えてまいりました。しかし、そのお役目もはすでに果たしてございます。つきましては、わたくしの故郷の伊勢に帰らせてはいただけませんでしょうか」
「・・・なに・・・伊勢に・・・故郷に帰りたい、とな・・・」
「はい、左様にございます」
今まで頼りにしていたサルタビコがいなくなるのは、私としては心細い。わたしは引き留めた。しかし、サルタビコの望郷の念は強かった。
わたしはサルタビコの帰郷を許した。
そしてウズメを呼んで言った。
「サルタビコが故郷の伊勢に帰ることとなった。そこで、わたしを高千穂まで導いたサルタビコを、伊勢まで護って送り届けてもらいたいのだ。
この任にはサルタビコの正体を確かめたそなたが最適だ。引き受けてくれるな」
ウズメは力強く答えた。
「かしこまりました。間違いなくサルタビコ殿を伊勢まで送り届けてまいります」
わたしは続けて言った
「それから、サルタビコの名はそなたが受け継ぐがよい」
「はい、承知仕りました。その名に恥じぬよう、精進してまいります」
わたしは安心して、サルタビコを送り出した。サルタビコはウズメに護られて伊勢に帰郷していった。
しかしその後、悲しい報が入った・・・サルタビコが伊勢の阿耶詞(あざか)の地で漁をしていた時、大きな貝に手を挟まれ、浮き上がることができず、溺れて亡くなったというのである・・
まさか、あのサルタビコがなくなるとは・・・わたしの心は悲しみに暮れた。その後しばらくの間、わたしは喪に臥した。
しかし、 サルタビコは亡くなったが、その名はウズメの子孫が受け継いでいってくれるだろう。
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☆猿女君(さるめのきみ)
こうしてウズメの子孫は代々、猿女君を名乗ることになりました。「このような経緯で、伊勢の国から朝廷に海産物の献上品があった時は、まず猿女君に下賜される」と古事記には記述されています。
猿女君のなかで大和国に本拠地を置いた一族は稗田氏を名乗りました。古事記編纂にかかわった稗田阿礼もウズメの子孫です。
☆阿射加神社
サルタビコが海におぼれたという阿耶詞(あざか)。泡の中から三つのサルタビコの御魂が現れたそうです。
今の三重県松阪市の小阿坂町・大阿坂町とされており、サルタビコを祀る阿射加神社が建立されています。
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