ヤマトタケルの崩御の報は、従者たちによって仕立てられた急使によって大和にもたらされた。
大和にいた妻や子たちは、みな急ぎ能褒野にやってきた。そして泣きながら、その能褒野の地に御陵を造り、ヤマトタケルを葬った。
葬った後も、妻や子たちはいつまでも、腹ばいになって泣いていた。
その時だった。ふと顔を上げた子の一人が驚いて言った。
「あ・・あれは・・・」
その声に妻や子はみな顔を上げる。
そこに見たのは、一羽の白鳥だった。
ヤマトタケルの御陵から、ふわっと浮かび上がるように白鳥が出てきたのだ。
白鳥はゆっくりと羽を広げたかと思うと、浜のほうに向かって飛び立っていった。
「あれは・・・ヤマトタケル様の魂に違いない!」
妻や子たちは、白鳥を追いかけていった。どこまでも、どこまでも・・・
草の切株で足が切れても、海の水に足を取られて転んでも、それでも追いかけていった。
白鳥は河内の志幾まで飛んでくると、そこに降り立った。かと思うと、そこから飛び立ち、はるかな遠い空に飛び立っていった。
追いかけてきた妻や子たちは、最後に白鳥が降り立った地にも御陵を造り、ヤマトタケルの御霊を鎮めたという。
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☆能褒野
ヤマトタケルの終焉の地、能褒野は現在の三重県亀山市と言われており、能褒野王塚古墳がヤマトタケルの御陵とされています。
☆白鳥陵
白鳥となったヤマトタケルの魂が最後に降りたところにも御陵が造られました。大阪府羽曳野市の軽里大塚古墳とされています。
他にも「白鳥陵」と称してヤマトタケルの御陵とされる古墳はいくつもあり、日本人のヤマトタケルに対する信仰の深さが読み取れます。
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