クマソタケルの兄は、オウスに一突きされ絶命した。
宴会場は大騒ぎになった。
その場にいたものは我先にと逃げ出す。逃げたものの中にクマソタケルの弟もいた。
オウスは弟を追いかけると、剣を背中から刺した。身体から血が噴き出すが、即死は免れた。
オウスはさらに切り裂き、とどめを刺そうとした。その時である。
苦しい息の中から弟が言った。
「待ってくれ・・・話を聞いてくれ・・」
「なんだ?」
オウスは手を止める。
「お前は・・一体、誰だ?」
「わたしは大八島国を治めている、天皇オシロワケの御子オウスである。お前らの兄弟が朝廷に従わずにいるので、天皇にお前らを討ち取るよう命じられて遣わされてきたのだ」
「そうか・・西国には我ら兄弟よりも強いものはいない。しかし大倭国(おおやまとのくに)には我ら以上に強いものがいた・・・オウス、お前にタケルの名を奉ろう。お前はこれからヤマトタケルと名乗るがよい」
「よし・・・いうことはそれだけか」
そういうと、オウス改めヤマトタケルは、その名を献上したクマソタケルの弟の身体を一気に、熟れた瓜のように切り裂いてしまった。
この時からオウスはヤマトタケル(倭建命)を名乗るようになった。
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☆ヤマトオグナからヤマトタケルへ
クマソタケルの弟に名を聞かれたとき、古事記原文では本名のオウスではなく、別名の「ヤマトオグナ」を名乗っています。オグナは少年の意味。ヤマトの少年からヤマトを背負って立つ勇者に変身したわけですね。
「ヤマトタケルのみこと」は通常「日本武尊」と書きますがこれは日本書紀での表記、古事記では「倭建命」と表記しています。
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