わたしの名はスサノオ
ある日、気が付けば、九州のとある川の、河原で生まれていた。その時の様子・・今思い出しても、不思議な感覚がする。
それは、夜明の河原だった。ふと気が付くと、目の前に父のイザナギがいた。そしてわたしの横には、先に生まれた姉のアマテラスと、兄のツクヨミが立っていた。
母は・・・そこにはいなかった。何でも我々きょうだいが生まれる前に、火の神を産んで亡くなっていたらしい。
我々は母無くして、父親から生まれたというわけだ・・今では考えられない、まさに神代の出来事であろう。
父は死んだ母イザナミを連れ戻そうと、死者の国である黄泉に行ったそうだ。しかしイザナミを連れ戻すことはできずに戻ってきた。
そしてこの河原で死者の穢れ(けがれ)を落とす禊(みそぎ)をしていたのである。その禊の最中に次々と神が産まれてきた。そして最後に生まれたのがアマテラスとツクヨミ、わたしの三兄弟だったのである。
しかし、それをわたしが知ったのは後の話である。
突如としてこの世に生を受けたわたしは、訳が分からないでいた。
皆さんは想像できるだろうか・・・幼少期の記憶もなく、いきなり大人として生まれてきたわたしの心境を・・・
すると父は、そんな私の気持ちを知ってか知らずか、我々にそれぞれの使命を与えたのだ。
姉のアマテラスには高天原を、兄のツクヨミには夜の世界を統治するよう命じた。
・・・そしてわたしには、海原を統治するよう命じられたのだ。
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☆三貴子の誕生
本日よりスサノオの生涯をスサノオ自身がつづった「スサノオの自伝」を掲載していきたいと思います。拙い文章ですが、よろしくお願いいたします。
イザナギの禊の最後に生まれたアマテラス・ツクヨミ・スサノオの三神を「三貴子」と呼んでいます。
その場所は古事記によると「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原」(つくしのひむかのたちばなのおどのあわきはら)と記載されています。その場所は諸説ありますが、宮崎市阿波岐原町の江田神社とするのが一般的です。神社の近くには禊を行ったという「御池」も存在しています。
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