吉備の高島宮を出港したイツセとイワレの兄弟の船団は、サオツネビコの案内で難所である速水門も無事に切り抜け、難波の入り江深くに入っていった。そして白肩の津に船団を停泊させた。
イツセとイワレはここから陸路、大和を目指し、そこに都を造営する計画だった。一行は上陸して進軍の準備を進めていた時だった。
斥候として出ていた兵の一人が慌てて戻ってきた。
「大変です!大軍がこちらに向かって攻めてきてます!」
「なに!」
報告を受けたイツセとイワレは慌てて立ち上がった。しかし、もう遅かった。敵軍は兄弟の陣地のすぐそばまで来ていたのだ。
「イワレ!来たぞ!ぬかるな!」
「でも兄さん、私たちに手向かうなんて、どこの軍でしょう!?」
「あの鎧の姿かたち、おそらくナガスネビコだ」
「ナガスネビコ?」
「ああ、 大和を支配している豪族だ!これまでも度々、日向の命令に背いてきた奴だ!
まさか、ここまで先回りして攻めてくるとは!」
そう、ナガスネビコは日向のイツセとイワレが東征してくるという情報を事前に知り、大軍を張り込ませておいたのだ。
しかし奇襲を受けた兄弟の軍は、満足に応戦できない。やっとのことで楯を持ち出し、敵軍の矢を防ぐのが精いっぱいだった。
楯で戦ったその地は楯津と伝えられ、後に蓼津ともいわれるようになる。
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☆白肩の津・楯津
昔、大阪の地形は今とかなり違っていて、現在の大阪平野は遠浅の入り江となっていて、大阪湾は生駒山脈のすぐ西まで入り込んでいました。
白肩津・楯津は現在の東大阪市日下町付近だと言われています。