イワレは頼りにしていた兄を失った。
イワレの心は悲しみと不安でいっぱいだった。しかしその感傷に浸っている暇はなかった。
イツセが無き今、イワレは日向から率いてきた軍勢を指揮して進んでいかなければならない。イワレには兄の遺志を引き継ぎ、安定した強固な日本を作り上げる責務が残っていた。
「よし、行くぞ」
残されたイワレは船団を率いて紀伊の国の沿岸に沿って航海した。しかし今までの順風満帆な航海と違って、それは苦難の旅だった。
上陸した村々はその多くがナガスネビコの勢力下にありイワレの一行には非協力的だった。時には村ごと戦争を仕掛けてきてやむなく応戦することもあった。さらには暴風雨も追い打ちをかけた。
熊野村についた。一行はここから陸路大和を目指し、ナガスネビコを制圧する手筈を整えた。
一行は険しい山道を分け入って進む。
しかし、これまで海洋を庭のごとく往来してきた一行にとって、この山道の進軍は言葉で言い表せないほどの困難を伴うものだった。
そんなあるときのこと。
「なんだ、あれは!」
兵士が口々に叫ぶ。それは見たこともないような、巨大な大熊だった。
その大熊は何もせずに消えていった。しかしその大熊を見た一行は、たちまちのうちに気を失い、その場にバタバタと倒れてしまったのだ。
「おい!みんな、どうした!しっかりしろ!」
イワレは叫ぶ。しかし天の御子であるイワレも、大熊の霊気には勝てなかった。
次の瞬間、イワレも倒れて、意識を失ってしまった。
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古事記上巻 日本神話 目次
古事記中巻 神武天皇~応神天皇 目次
☆名草神社
日本書紀によると、イツセの死後、名草邑(なぐさむら)に至り、そこでイワレの軍に反抗した豪族のナグサベを討ったとあります。現在の名草神社の付近と言われます。
☆阿須賀神社
名草村を出港すると、熊野の神邑(みわむら)にいったん上陸しました。現在の和歌山県新宮市の阿須賀神社の地と言われます。
☆熊野速玉大社・神倉神社
神邑に上陸後、天磐盾(あまのいわたて)に登って武運を祈願しました。現在の熊野速玉大社摂社の神倉神社と言われています。
☆熊野三所大神社
神邑を出港したイワレの船団は暴風雨に遭遇。
古事記ではウガヤフキアエズ4兄弟の次男イナイと三男ミケヌは、神武東征の物語が始まる前に遠い国に去ったことになっています。これが日本書紀では、ここで二人は自ら生贄となって、海に入って去っていくことになっています。
暴風に遭遇したイワレの一行は、荒坂津に上陸しました。丹敷浦(にしきのうら)とも言い、ここでもイワレに戦いを挑んできたニシキトベを誅殺してます。
現在の那智勝浦町の熊野三所大神社の付近と言われています。
神邑からは少し後戻りしますが、暴風雨に押し戻されたのでしょうか。