2023-06-01から1ヶ月間の記事一覧
神功皇后の自伝 21 「母上!ただいま戻りました!」 「おお、ホムダワケ・・・大きくなりましたね!こんなに立派になって・・・!」 そう、その日、我が皇子ホムダワケが角鹿(つぬが)から帰ってきたのである。稚児姿だったホムダワケは、それからも成長を…
神功皇后の自伝 20 オシクマの反乱も落ち着き、わたしは皇子のホムダワケ、建内宿祢(たけうちすくね)をはじめとする家臣らとともに大和に帰ってきた。 大和の民は、朝鮮を平定して帰ってきた我々を大歓迎で迎えてくれた。 そして十数年の時が経った。ホム…
神功皇后の自伝 19 港に停船していたわたしの元に、建内宿祢(たけうちのすくね)が戻ってきたのは、それからだいぶたってからのことだった。 武内宿祢は戦況をわたしに報告する。それによると・・ 建内宿祢は逃げるオシクマの軍を追って、山代まで追い詰め…
神功皇后の自伝 18 わたしはホムダワケが薨去したという偽りの情報を流し、喪船を大和に向けて筑紫から出港させた。 わたしとホムダワケは、その喪船に乗り込んでいたのである。 喪船は瀬戸内海を順調に航行し、難波の津に入った。そして桟橋に接岸した・・…
神功皇后の自伝 17 わたしは新羅から筑紫に帰還した後、そのまま詞志比宮に滞在して三韓の統治をおこなっていた。しかしその足固めもほぼ終わったので、大和に戻ることになった。 しかし大和に戻ろうとするときのことである。重臣の建内宿祢(たけうちすくね…
神功皇后の自伝 16 わたしは三韓の征伐を終えて筑紫に帰り、皇子のホムダワケを出産した。 その後もしばらくわたしは筑紫に滞在していた。産後でもあり、大和への長旅はつらいものがあった。 それに、征服したばかりの三韓についての統治も行わなければなら…
神功皇后の自伝 15 新羅をはじめ、高麗・百済の三国は朝廷の臣下となり、日本の属国となった。 そしてわが艦隊は、日本に帰っていった。 ところでわたしは、先にも申し上げた通り、この時すでに亡き夫の子を懐妊していたのだ。それを、丸い石を帯に巻いて腹…